サイクリング@岩槻その2

投稿者: | 2011年6月12日

ずいぶん前(2月ごろ)に行ったのだが忙しくて更新するのを忘れていたので今頃になって更新・・・

あのころは冬用の装備でも寒かったのに今じゃすっかり半袖でも大丈夫になってしまった。時間がたつのって早いな・・・・

昔読んだ稲中卓球部っていう漫画に登場するババ屋っていう駄菓子屋が、開智高校の近くに実在するっていう話をふと思い出して、今も現存するのかを確認するために岩槻まで自転車で行ってきた。

駄菓子屋を見に行くだけなのもなんなので近所のお寺と神社を見てきた。

[白山神社]

日光御成街道をわきにそれた場所にあった神社。

鹿室の地は、元荒川左岸に位置し、南北に日光御成街道が通る、この街道沿いには、室町時代に創建された曹洞宗宝国時があり、山門の西側には徳川将軍が日光参拝する際には、仮のお茶屋が設けられたという。

文化3年(1806)の「日光御成街道分見延絵図」をみると鹿室村の南外れに「白山」とあり、街道からは東方にやや離れた場所に鎮座していたことがわかる。

社地は本社から参道に向かって緩やかに傾斜し、かっては参道の入り口の手前は一帯が湿地であった。正面からの参道とは別に裏手からの参道もありもとはこちらが正しい参道とされていた。

その創建の年代については明らかではないが、加賀一宮白山比咩神社から分霊したと伝えられる。

また、「日光御成街道分見延絵図」によると、江戸時代には、宝国寺の入り口にも白山社があり宝国寺が勧進に関わっていた可能性がある。

江戸時代には、国宝時にも白山神社があったとこのことなので、国宝寺に行ってみたところ、寺の入り口には神社の社があったがそれが、白山神社かどうかはわからなかった。

国宝寺

[慈恩寺]

白山神社の南の方にあったお寺、結構有名なお寺らしい。

平日の夕方に行ったので誰もいない。

鐘を鳴らしているのを聞きたいな。

平安時代の創立と伝えられる慈恩寺は、坂東札所などとして広い範囲の信仰・巡礼者を集め、さらに歴代の岩槻城主や幕府の保護を受けた古刹である。

またこの寺には、日中戦争時に日本軍が南京で発見した、玄奘の遺骨の一部が納められている。

時間があれば、坂東札所を全部回ってみたいところだが33か所もあるのでなかなか厳しそうだ。

[ババ屋]

肝心のババ屋は事前の下調べをしっかりしていなかったため発見できなかった。しかし開智高校に通っていた友達の話では存在するのは確実なのだが、その実在するっていう話を聞いたのは自分が高校の時の話なので、もしかしたらもう無くなっているのかもな。

次に岩槻に行くときはしっかりと下調べをして現存しているなら実物を見たいところ。

サイクリング@岩槻その1


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